妖怪「付喪 神」



様々な付喪神
付喪神と京都
百鬼夜行

「百鬼夜行」とは、呼んで字の如く、多くの異形の鬼(妖怪)たちが夜中に徒党を組んで行進する現象を言います。主に平安時代の 京都で起こったとされるもので、この怪異が起こりやすい「夜行日」なるものがあるとも考えられていました。 当時の貴族たちは 鬼の群れに出会わないために陰陽師に相談し、夜行日の夜には外出するのを避けたり、やむを得ず外出する際は魔除けの護符を持ち 歩いたそうです。 『 付喪神絵巻 』 には、人々に打ち捨てられ「船岡山の後、長坂の奥」にこもった付喪神たちの物語が描かれています。 当時の絵巻の製作は室町時代とされていますが、物語の時代設定は平安時代中期となっているようです。そこには、付喪神たちが 変化大明神という自分たちの神様を祀り、祭礼と称して夜更けに徒党を組んで西から東へと練り歩いたとの記述があます。そこには、付喪神たちが 変化大明神という自分たちの神様を祀り、祭礼と称して

夜更けに徒党を組んで西から東へと練り歩いたとの記述があます。つまり これは古道具の妖怪、付喪神たちの百鬼夜行であったのです。 そして、この付喪神たちの百鬼夜行のコースが、ここ京都の一条通りであったとの記述があります。 一条通り近隣には古道具を 転売していた北野天満宮があり、そこから少し北上すると「百鬼夜行絵巻」を所蔵する大徳寺と船岡山が存在しています。2005年、 現在の一条通り大将軍商店街では、付喪神たちの通り道であったと銘打って「妖怪ストリート」という町おこしに取り掛かりました。 平安京の名残である碁盤状の通りも今日では随所にズレが生じていますが、当時と位置は殆ど変わっていないといわれています。 器物の妖怪である付喪神を題材にエコロジーやリサイクルの重要性を訴えながら、長きにわたり日本人に愛されてきた妖怪たちの 奇奇怪怪な魅力を製作を通して伝承していく所存です。
室町時代「付喪神記」に次のような記録があります。
器物百年を経て、化かして精霊を得てより、人の心を誑(たぶら)かす。これを付喪神と号すと云へり。
The old tools change to a god after a long time.And they confuse people’s heart. They are called Tsukumogami.
