top of page

Takashi Taruya Exhibition Art Book

" Signs in the City "
BY BRUCE HELANDER (英文のみ)

Almost every culture seems to have its own version of the celebrated papyrus Dead Sea scrolls, which were discovered in the dry Judean desert caves of an ancient settlement in the West Bank. These rare, invaluable documents allowed histo- rians and scholars to piece fragments of the past together, providing great historical, religious and linguistic significance. As early as 50,000 BC, during the end of the Paleolithic era,
there is clear evidence of primitive people recording their aspirations and traditions on cave walls in caricature cartoon fashion, which were among the very first communicative “storytelling” graffiti and whose primary purpose was to share information through invention and imagination. These early tribes often would illustrate a veritable parade of human subjects and spirits, along with a circus of beasts, from bison to tigers to hybrid or exaggerated fantasy animals that offered archaeologists clues to these ancient civilizations, and in some cases to their daily lives. As mankind developed more sophisticated alternatives to recognizable scratches and carv- ings on interior cave walls and outdoors on flat rocks, the secretive drawings became a permanent form of interaction, from the gold-embellished illustrated manuscripts of biblical times to the comic strips published in early newspapers. Many societies around the world have offered mythical fairies of all types and varieties. Chinese legends portrayed grotesque creatures, and Japanese fairy tales are saturated with super- natural beings known as yokai. Many of these mischievous spirits have become popular characters, such as hitotsume kozō (one-eyed goblins) or konaki-jijii, who misleads people
by imitating the familiar sound of crying babies, and still other yokai appear as bizarre phenomena, whose popularity has found their way into frightening fairy tales, animated films and full-length feature films. This intriguing subject joins other significant categories of picture-making that for centuries served as a resourceful method of connecting and preserving traditional fables.

「アーティクル」Japanese Art & Culture Monthly 2010/04

樽屋タカシ展
「YOKAI ◆ 付喪神」

昨年11月、初個展でほぼ即日完売という センセーショナルなデビューを飾った樽屋タカシが、 早くも2 回目の個展を開催。
本展ディレクター 森下泰輔/プロデューサー 勝山亜唯美(文化人プロダクション)

 最近、アメリカでも妖怪がブーム となってきて、「YOKAI」という言 葉も、「OTAKU」や「KAWAII」と並 んで、英語化され始めている。ワシ ントンで一昨年に開催された水木し げるの展覧会も好評だったが、昨年 11月の樽屋タカシの初個展では、作 品がほぼ初日に完売。海外からの反 響も大きく、ニューヨークのアート 誌『COOL』では、樽屋の特集を組 み、表紙にも作品を起用。国内外で、 「TARUYA’ s YOKAI」の魅力が急速 に浸透している。 付喪神とは、年月を経た道具や家 畜に宿るとされる神々で、まさにエ コロジーの妖怪であるとの思いか ら、樽屋は、伝承画の中の付喪神を、 「YOKAI」として、独自の視点と技 法で現代に蘇らせた。「TARUYA’ s GOLD」と称される金箔は、金箔の 色や貼り方、箔の輝きを増すコーテ ィングに至るまで、その技法は絵画 の域を超え、まさに工芸作品の域に 達している。

樽屋タカシ 1974 鹿児島に生まれる/1997 京都造形 大学芸術学部美術科修了/在学中より、巨大 壁画や天井画の制作を国内外で行い、独自の 色彩感覚による壮大な空間作品づくりが大 反響を呼ぶ/2009 日本古来より絵師達が 綿々と伝承してきたアニミズム的な世界観 を現代に引き継ぐ絵師として、GINZA ART LABで初個展開催。「TARUYA’s YOKAI」 「YOKAI ARTIST」として国内外から注目を 浴びる。

" COOL " BiLingual Art Magazine

樽屋タカシと YOKAI ART -現代の「百鬼夜行図」もしくは絵を描くということ-
Taisuke Morishita / 森下泰輔
(art critic / 美術評論家)


7年ほど前、私は名画の模写を研究していた。調査 中、大阪で名画を20~30メートルに及ぶ巨大な壁画に している作家がいることを知った。あのボッチチェルリのビーナス誕生やミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の壁画をそっくりに模写していて、こんな作家が日本にいるのか、と思っていたが、それが樽屋タカシだった。彼は京都造形大学在学中より、壁画の仕事を行っており、10年以上も筆一本で食べてきた。今回、その樽屋が満を持してアーティスト・デビューした。もともと日本では「絵を描く」という具合に絵画は語られてきた。これは欧米の「PAINTING」概念、つまり、現象を文字通り描くという意味からすれば、あらかじめある《絵》を「描く」という意味合いが強いのだ。樽屋も日本の習慣「伝承」に従って絵を描いてきたのだろう。
樽屋が自らのアイデンティティを付喪(つくも)神という日本のアニミズムから生じた妖怪に託したのも、背後には数百年続く日本絵画の歴史と伝統が当然色濃く存在する。付喪神を描いた図でもっとも有名なものは京都、大徳寺・真珠庵にある土佐光信によるとされる「百鬼夜行絵巻」である。そもそも付喪神とは、100年を経た器物が、魂を宿して精霊となり、夜な夜な京の一条通りを行進していた、という言い伝えに基づいている。Y O K A I (妖怪)にもいろいろあるが、樽屋が描く付喪神は「demon」・「ghost 」・「devi l 」の類ではなく、日本の「GOD」のひとつなのだ。大徳寺「百鬼夜行絵巻」が描かれたのは室町時代とされ、研究によれば、光信自身もそれ以前に存在した「元絵」をコピーしていたとされているので、付喪神自体の発生はおそらく鎌倉かそれ以前の平安期に遡るだろう。最近の調査によれば、国際日本文化研究センター所蔵のものが、真珠庵所蔵品よりもオリジナルに近いのでは、ともいわれている。いずれにしても、こうした妖怪は、太古に起源をもつ古神道が「御霊」とか「依り代(神霊が依り憑く対象)」などと呼び、語り継いできたアニミスティックな土壌に成立したものだ。平安期、政(まつりごと)が陰陽師に委ねられていた時代、代表的なそれであった安倍晴明がおり、その仕事ぶりは、重要文化財「不動利益(りやく)縁起絵巻」(14世紀頃、東京国立博物館蔵)に描かれている。そこには、晴明が操作する鬼神、式神とともに、グロテスクだがどこかキュートな疫病神の一団がいて、悪事を成さないように祝詞(のりと)により「去勢」されている。
さて、日本妖怪史において京都は最重要なポイントなのだが、樽屋の血筋はその京都にあり、彼のDNAがこの主題を自然に導き出したに違いない。 そして樽屋が現代芸術家としてユニークなのは以下の2つのことによる。
第一に彼は「絵を描く」または「絵画(これは絵を画く意)」といった日本の伝統に則り、付喪神を繰り返し描き続けてきたであろう鎌倉、室町、桃山、江戸、明治の絵師たちの今日における系譜たろうと自覚している点だ。このことは、奇妙にも村上隆が提唱した概念を原点に揺り戻す働きをも内在させている。村上は日本画のもつ平面性から「スーパーフラット」を編み出したが、輪郭線(骨がき)による閉域で物の形を表象する日本画からの同一性としてのアニメ画が、大文字のアートとして機能するためには、初期フランク・ステラとリキテンスタイン的ポップ平面、もしくはドナルド・ジャッドのような絵の物質化が前提となっていた。つまり村上は、アメリカ的平面上に日本アニメを接ぎ木し、ルーツとしての日本画を提唱したのだが、樽屋は、より日本の絵巻、草紙、戯画、肉筆浮世絵と無理なく繋がっているのである。だが、アニメ画を通過した現在からは、違和なくポップにも見える。その理由は、写楽や北斎を、あるいは伝・頼朝像をウォーホルで読み解くような感じが樽屋作品にはあるからだ。同時に辻惟雄のいう「奇想の系譜」上の問題、すなわち「日本画の本質は漫画=戯画」にある、というテーゼとも合致する。今日、美術において東西の眼が混合して久しいポストモダン以降の加速された情
報環境において、《歴史的前後関係》が溶解・融合を起こしているが、樽屋作品も伝統と繋がりながら、情報時代の申し子的側面を宿している。
第二には、付喪神のもつコンセプトの問題だ。100年経て神となる器物とは、日本で培われてきた重要な美意識、すなわち「物を慈しみ、大切に扱う節約の心」であり、今日で言うところの「エコロジー」である。また、多神教である日本を含むアジアでは、いにしえから現代に至るまで、こうした神々は日常の領域に人間と共存する身近な存在とされている。樽屋の付喪神は、大量生産・大量消費の現代社会にメッセージを発したいがために姿を現し、自動販売機やコンビニエンス・ストアの風景、あるいはグローバル・モータリゼーションの象徴、ガソリンスタンドやカワイイの本家・渋谷を練り歩く。それは神々から現代消費社会へ向けた警告にほかならない。

「アーティクル」Japanese Art & Culture Monthly 2009/11

Takashi Taruya

The old tools change to a god after a long time. And they confuse people’s heart. They are called Tsukumogami.

自然環境保護と付喪神( つくもがみ ) Ecological God Tsukumogami 自らを「黄金の国に生まれた貧乏児」と称す樽屋タカシが、金箔画に 魅了されるまでには多くの時間と経 験が費やされた。毎日のように借金 取りが土足で家に上がり込む子供時 代を過ごし、空腹を満たすために海 岸からワカメと貝を集めたり、水道 や電気を止められるのも日常茶飯時。 必然的にハングリー精神を養った樽 屋は、必死で手に職を求めるように 美大に入るが、もうその頃から、国 内外で店舗内装を中心とする巨大壁 画や天井画の制作を職業として営む ようになり、その独自の色彩感覚に よる壮大な空間作品づくりが大反響 を呼ぶ。 さまざまな国で制作を繰り返して いくうちに、樽屋は日本人としての アイディンティティーを何度も追求 され、森羅万象には八 やおよろず 百万の神が宿 るとするアニミズム的な世界観「古神道」を精神的ルーツとする自国を 客観的に見つめるようになる。「需 要と供給が成り立つ一方、進まない 自然保護への意識レベルの低下。」こ れが外から見た黄金の国と言われた ジパングの姿であった。この頃から、 樽屋は日本古来の伝承文化とそこに 宿る精神への探求をはじめ、日本の 輝かしい伝承文化である金箔にも手 を出すようになる。 「付 つくもがみ 喪神」とは、年月を経た道具や 家畜に宿るとされる神々のことで、 人々に畏怖の念を抱かせ、ものを大 切にする精神に立ち返らせてくれる 存在。人間の欲求によって大量の資 源消費を繰り返してきた今、付喪神 たちに学ぶものがあると思い、室町 時代より絵師達が繰り返し模写して きた伝承を、樽屋は独自の視点と、自 然環境保護にまで配慮した技法で現 代に蘇らせた。 パネルは、大気汚染の原因となる 準揮発性有機化合物(TVOC)1% 未 満の接着剤を使った木製の総桐パネ ルで、作品を長く楽しんでもらうた めに表面湿布するコーティング材に は、天然ヒノキチール配合の水性エ コ塗料を使用。金箔は贅沢に2回重 ね、意図的に均等かつ綺麗に貼らな いようにして、年月を経たかのよう な趣をだしている。 

本展ディレクション Ginza Art Lab /プロデューサー 勝山亜唯美(文化人プロダクション)

「アーティクル」Japanese Art & Culture Monthly 2010/03

ARTcollectors'-動物から妖怪まで大集合

「アーティクル」Japanese Art & Culture Monthly 2009/11

21世紀の妖怪絵師 ー樽屋タカシの妖怪画図ー

異形の付喪神や鬼たちが愉快なパレードの如く さんざ喚きながら、巫山戯(ふざけ)、飛び跳ね、駆けまわる・・・ 百鬼夜行図は室町時代から連綿と描きつづけられてきた。 文明開化と街灯に追い払われた、暗闇と妖怪たちだが 無念の妖怪絵師の筆が九十九年を経て魂を得たのか 妖怪絵巻の伝統を継ぐ絵師が、超新星のように画壇に現れた。 現代の百鬼夜行図、付喪神夜行図を描く樽屋タカシの新作を紹介する。

 個展はこの春で三回目ですが、すべて妖怪を描いたものばかりです。とはいえ、僕としてはそれぞれテーマがあるんです。
 最初の個展は妖怪と向き合って描きました。妖怪は一種の神だと僕は思っているので、神を扱う仕事をするからにはと、絵の中に神を宿すことに集中したんです。目が妖怪にしか向いていませんでしたね。
 なので、昨年の個展ではなにか違うことをやろうと。それで、妖怪の絵巻物に出逢えたことをイカすために、現代の自分にできる百鬼夜行図、付喪神図を描こうと思って街の風景を取り入れました。  数年前まではプロの画家になろうなんて大それたことは考えませんでした。ただ、小さい頃から絵が大好きで、チラシの裏に家族や友だち、故郷の鹿児島の海や山を描いていました。毎日飽きずに描きまくっていたからか、僕にはとにかく「絵」しかないという自覚が芽生えたと思います。絵を描きつづけていたい、自の妄想の世界にただ浸っていたいという気持ちです。
 高校、大学と絵が評価されて、推薦で合格できましたが、裕福でなかったこともあって、僕には「生活」するということが、大きな問題でした。自分には「絵」しかない。だが、美大とはいえ、アーティストになれるのはほんの一握り。でも、「絵」から離れたくない。出した結論が、「職人」でした。「街の看板屋さん」もいいなと。とにかく「絵を描く」生活がしたかった。それと、裕福でないのに美大に行かせてくれた父に納得してもらいたかったんです。
 だから、レタリングやデザインも勉強しました。フリーハンドで直線も真円も描けます。絵で食べるために、「描く技術」を身につけ、「ものを見る目」を養うことに専念した学生時代です。
 妖怪とつきあうようになったのは京都の美大(京都造形芸術大)に入ったことが縁かもしれません。作品にしたのは最初の個展からです。日本人の伝統を僕なりに受け継ぎ、表現するための妖怪です。  きっかけは、在学中、海外で天井画を描く仕事を頼まれ、西洋画を描いたら、「おまえは日本人なのに、なぜこんな絵を描くんだ」と言われたこと。日本の「絵描き職人」としてのアイデンティティとはなんだろうと考えました。それで卒業制作に浮世絵を選んだんです。でも、二十一世紀に生きている僕が描くのだから、江戸の浮世絵を模倣してもつまらないでしょう。そこで、ラッカー塗料で描いてみました。浮世絵を看板風にてかてかにしてみたら面白いかと狙ったんです。
 妖怪画も同じ流れのなかで描いていますが、真珠庵本の百鬼夜行の作者だという土佐光信ならどう描くだろうといつも考えています。数ある百鬼夜行絵巻のな蚊でも、僕はアレが一番好きなんです。妖怪たちが生き生きとしていますからね。先輩絵師への尊敬もありますが、伝承していくことに意味があると思っているので、僕は妖怪の姿形は崩していません。ただ、もし土佐光信がいまの時代にいたら、コンビニやガソリンスタンドやらの現代の町の風景を取り入れるだろうと思うんです。もともと百鬼夜行が現れたのは京都の市中なのですから。  妖怪絵巻は当時の絵本だったのではないでしょうか。だから、描き継がれてきたのだと思います。ということは僕の百鬼夜行も、子供にも伝わるものにしないと描く意味がないし伝承もされない。誰もが見入ってしまう絵を描きたいですね。  昨年の個展で、多くの人たちに見ていただいてわかったのですが、みなさん妖怪に対して怖がったり、神様みたいに崇めたりと、プラスもマイナスもいろいろな印象をもっているんですね。だから、妖怪はちゃんと扱わないといけない、自分の分身じゃありませんが、キャラクター化してはいけないと気づきました。それもあって、妖怪には室町期の姿のままで活躍していただいているわけです。  でも、その舞台は現代。背景になるものは、今の時代を象徴するものですね。ハイブリット車とか太陽光発電などのエコ的なものや、コンピューターやスマートフォンなどの再先端商品。流行と付喪神たちで、今の時代を後の世に伝えたいんです。  いつか僕の作品も土佐光信たちと並んで平成の百鬼夜行図となるかもしれない、と想像すると、うれしくなります。  前二回の個展では百鬼夜行から付喪神だけを抜き出した作品だったのですが、今度は一連の絵巻のように長く続くものをお目にかけます。六場面で構成された平成版「百鬼夜行図」の連作です。三回目でようやくです。まだ土佐光信は遠い存在ですけど、僕も妖怪絵師の1人として、この先も伝承と進化を重ねていこうと思います。まずは、見て楽しんでいただけたらと思っています。  それと個人的なことになるのですが、ずっと好きなことをやらせてくれた父には感謝しています。絵の職人から作家になって個展をやろうと決めたのも、絵を描いてきた自分の成果を父に見てもらいたかったことが大きな理由です。完売したと報告したら、「おまえの絵がなぜ売れるのかわからん」といいながらも喜んでくれました。老齢で、からだの調子もよくないので、東京までは出てこれそうもありませんが、絵を描くことで恩返しできたらと思っているんです。

  • Facebook Social Icon

Copyright (C) 2015 taruya.wix.com/taruya All Rights Reserved

W h i t e  K n i g h t  INC.

【 B u n k a j i n  P r o d u c t i o n 】
8-5-40-350 , Akasaka Minato-ku ,

Tokyo 107-0052 , JAPAN

TEL:+81-03-6432-9988

FAX:+81-03-5414-2832
URL : 
http://www.bunkajin.com

MAIL : bunpro@bunkajin.com

ホ ワ イ ト ナ イ ト 株 式 会 社

【 文 化 人 プ ロ ダ ク シ ョ ン 】

〒107-0052 東京都港区赤坂8-5-40-350

TEL : 03-56432-9988

FAX : 03-5414-2832

URL :http://www.bunkajin.com

MAIL :bunpro@bunkajin.com

bottom of page